大人になるのだ

しばらく放置していたブログを、久しぶりに更新します。

久しぶりということもあり、また4月という区切りのときであり、最近に私が考えたことを書きます。大人になるということについて、そして、私の所信表明。

 

私は今まで、恥ずかしいことに、学校で習うこと、教科書に書いてあることだけ勉強していればいいんだと無意識に思っていました。必要なことは大人が教えてくれる、また、大人が教えてくれることをそのままやっていればいいと無意識に思っていました。けど、全然違うし、むしろ逆。世の中の流れや出来事を見ながら、自分にとって必要なことは何か、知っておくべきことは何か、自分が知りたいことは何かを考えて、自分で勉強していかなきゃいけないのですね。

私は昨年の4月に大学を卒業すると同時に、公務員となるご縁をいただき、社会人としてのスタートを切りました。はじめの半年間は、研修があったり、新社会人ということで職場の皆さんが手とり足とり指導してくださったこともあり、忙しかったこともあり、何も考えず目の前のことをとにかくやるという感じでした。しかし、仕事の仕方が少しずつ分かってきたり、教えてもらわなくてもできることが増えたりして、周りを見る余裕ができ始めて初めて、私はとても未熟で、世の中のこと、働くということ、大人になるということを全く分かっていなかったということに気付きました。失敗したらそれを挽回しなくてはいけない、誰かに言われなくても自分で考えて課題を見つけて行動しなくてはいけない、自分の特徴を把握して自分の心身の管理は自分でしなくてはいけない、一つ一つの言動に責任を持つとはどういうことか、大人の人たちは日ごろ、何をどのように考えながら仕事をしたり生活したりしているのか、コミュニケーションの仕方、報告・連絡・相談の仕方…。「大人になったら、自由と引き換えに責任がともなう」「大人は自分の言動に責任を持たなくてはいけない」「自己管理は社会人の基本」などということは、知識としては知っていましたが、実際にそれがどういうことかを理解していませんでした。また、理解していないくせにできている気になっていました。振り返ると、信じられないくらい私は自信家でした。自分の中の理想に取りつかれて、自分の欠点に気付かず、気付いても無意識に見なかったことにしており、現実の自分がどういう状況かを客観的に理解していませんでした。

自分は本当は何も知らなくて何もできていなくて、むしろ回りの同年代の人たちと比べていろいろな点が欠けていると気づき始め、それがどんどん見えてきたとき、その量が想像以上で自分が抱えられるキャパシティーを超え、私は人生で初めて挫折しました。

確かに、学校で習うことは基本的なことばかりだしいろいろなことを勉強していくための土台となることばかりだからとても大事だと思います。けれど、学校で教えてくれること、カリキュラムの中に組み込まれていることは、「知識」が多く、「スキル」は自分で身につけなくてはいけないのだなと気づきました。本当に知っておくべきこと、身につけておくべきスキルは、学校では教えてくれなくて、自分で調べて、自分で考えて、自分で試して、自分で失敗して、自分で身につけていくものなんだなと、ようやく気づきました。このことに気付き、私はようやくスタートラインに立ちました。

これからは、自分の頭と、自分の体と、自分の足と、自分の手を使って、自分の人生を自分で歩いていくのだ、大人になるのだ、と自分に言い聞かせ、今日の記事は終わりにします。(1372字)